五月下旬。

青々と茂る緑の隙間から柔らかな日の光が射す、穏やかな季節。

常日頃は迅速に仕事をこなす模範的な十番隊にも、

この時期ばかりは多少ゆったりとした空気が流れている。

程度は違えど、それは隊長室も例外ではなかった。

「―――ふぅ」

目を通し終えた書類の束を机の隅へと押しやりながら、

日番谷はため息をついた。

ずっと下を向いていたせいで首が痛い。

おまけに書類を凝視していたからだろう、目の奥の動きも硬い。

二箇所分の凝りを解消するため、戸を開け放ち、遠くの景色を眺める。

伸びをし、首を鳴らしていると、向かいの廊下に見知った人影が認められた。

重そうな書物の山を抱えてよろめいているのは、幼なじみの雛森桃だった。










「う、重い・・・」

「いっぺんに持ちすぎだろ、それ」

「ひゃあっ!?」

いきなり背後から聞こえた声に驚いて荷物を落としそうになり、

雛森は慌てて体勢を立て直してから振り向いた。

「あれ、なんで日番谷くんがここに?」

雛森が不思議そうに首を傾げる。

その仕草は何かの小動物のようだった。

「部屋からお前のアホ面が見えたんだよ」

雛森から荷物を半分取り上げながらぶっきらぼうに答える日番谷。

そのまま荷物を抱えてさっさと歩き始める。

雛森も後に続く。

日番谷の早足に合わせて小走りしながら、雛森は頬をふくらませて反論した。

「アホじゃないもん。日番谷くんだってお仕事サボってるくせに」

「五番隊みたいに忙しくないからな。ちゃんと休んでるのか?」

皮肉混じりの台詞だったが、声には雛森を真摯に案じる響きがあった。

それを感じ取って雛森も茶化さずに答える。

「うん、大丈夫。ありがとね」

「ウソくせ・・・」

言いつつ日番谷はそっぽを向いた。

その横顔を雛森が優しく見つめていた。

それきり話さず、その内二人は書物をしまう蔵に着いた。

鍵を開けて中に入る。

埃っぽい床に自分が運んできた分をおろすと、日番谷は無言で踵を返した。

「手伝ってくれてありがと!」

小さな背中に明るい声がかかる。

それを意図的に無視して、日番谷は行きと同じ早足でその場を立ち去った。

心中ではあることを計画しながら。










六月三日、朝。

雛森の部屋に一匹の地獄蝶が舞い込んだ。

「・・・?何だろ」

伝言を聞くと、それは日番谷からだった。

送り主を知って驚く雛森だったが、その内容を聞いて更に驚く。

『私用の着物に着替えて、地獄蝶についてこい』

「え、でも仕事が・・・」

『あぁ。それと、お前の休みの許可ならとってある』

「え・・・・・・」

それだけで一方的な伝言が終わり、雛森はしばし戸惑って立ち尽くしていた。

しかし、最終的には日番谷を信頼し、地獄蝶に従って指定された場所に向かった。

呼び出されたのは、甘味処や小物店が立ち並ぶ通りの脇。

買い物をする人で賑わう道を、蝶を見失わないように雛森は走った。

娯楽的な店が多いせいか、時折あたりからおいしそうな匂いが漂ってくる。

息を切らして雛森が到着したときには、日番谷は仏頂面で佇んでいた。

雛森は手を振りながら、

腕を組み、店の柱に背を預ける日番谷のもとに駆け寄った。

「お待たせ・・・。どうしたの?こんないきなり呼び出して」

雛森が隣に立ったのを横目で確認すると、

日番谷は彼女の腕を引っ張って説明もなしに人混みの方へ歩いていく。

「ちょ・・・」

狼狽えた雛森が抗議しかけるが、それを日番谷が遮る。

「誕生日くらい休め。仕事なら後で手伝ってやるから」

「!」

雛森は軽く目を瞠った。

最近忙殺されていて、自分の誕生日のことなどすっかり忘れていた。

それをこの少年は覚えていてくれたのだと思うと、嬉しくなった。

しかも、こんな風に連れ出してまで自分の身を案じ、祝ってくれる。

そのことに胸がいっぱいになり、自然に顔が綻ぶ。

腕を引く手を逆に取り、満面の笑顔を浮かべる。

「行こ!あっちに見たいお店があるの!」

弾むような気持ちで、日番谷の手を握って駆け出した。










「はー・・・疲れた・・・」

「・・・そりゃ、あんだけ走ればな・・・」

夕刻。

喧騒から離れた丘の上に二人は大の字になって寝転がっていた。

ほぼ丸一日、人混みをかき分けて全店制覇の勢いで店を見て回ったのだから

当然と言えば当然だ。

日番谷としては、ゆっくり歩いて雛森を休ませてやろうと思っていたのだが、

大誤算だ。

満足げに笑って雛森が感想を漏らす。

「でも、楽しかった」

「・・・そうか」

その言葉を聞いて日番谷の顔にも軽い笑みが浮かぶ。

暖かい沈黙が二人を包む。

涼風が、野草の間を過ぎていく。

しばらく二人は心地よい涼しさを感じていた。

草の鳴る音が止み、雛森が再び口を開く。

「今日は、本当にありがとう」

「別に・・・」

日番谷が素っ気なく返しても、雛森は笑みを崩さない。

風が吹いていたら攫われてしまいそうなくらい、小さく呟く。

「・・・来年も、こういうのがいいな」

雛森の額に涼しい空気が当たる。

また、風が吹き始めていた。

その風に乗せるように、日番谷も呟く。

「贅沢な奴・・・」

「え、何て言ったの?」

音は、雛森の耳を掠めるのみに留まった。

「何も」

見え見えのしらを切ると、雛森もムキになって訊く。

「嘘。今何か言ったでしょ」

「言ってねーよ」

「うぅ、日番谷くんの意地悪・・・」

ひとしきり言い合うと、再度沈黙が訪れた。

やがて理由もよく解らずに、どちらからともなく笑い出す。

最初は堪えるように。段々隠しきれなくなって、その内堰を切って。

朱く染まった空に二人分の笑声が広がっていく。

真っ直ぐに夕暮れの空を貫く、心の底からの笑い声。

それは止めどなく流れ、互いの耳に新たな思い出を刻んだ。















あとがき

六月三日護廷十三隊五番隊副隊長雛森桃生誕記念日祝用小説!(長い

今回のは何故かすらすら書けて結構楽でした。

いやぁ、やはり授業中の内職が一番仕事がはかどりますね。

駄目人間的には。

題は祝日の無い六月だけど、という意を込めて。

玉兎