女たちの甲高い文句が頭上を飛び交う。

時に酒を注ぐ手を横目に捉えながら、小さく嘆息する。

ここまで来ると最早確信に近い俗説が脳内を渦巻いている。

嗚呼、悪い予感に限って当たるものだ・・・。










小さな足音が、木の廊下を渡っていく。

死覇装に羽織姿の少年の横顔を、午前の柔らかい陽光が射していた。

まだ幼さの残るその顔は、いつも以上の渋面を作っていた。

(我ながら、余程疲れてたんだろうな・・・)

内心で己の未熟さを省みつつも、足を止めることはない。

昨日は、部下が休暇を取るために先の仕事まで手を出したのに付き合わせられて

夜遅くまで残業していたのだ。

だからといって、財布を忘れて帰るとは流石に思わなかった。

心密かに副官の気まぐれを呪いながら歩くうちに、

自分の隊の執務室の前に着いた。

そこで、気づいた。

何故か、中から声がする。

それも、女特有の高い声ばかり。

「・・・・・・・・・・」

あまり良い予感はしなかったが、忘れ物を取りに来たのだから致し方ない。

覚悟を決めて戸を開ける。

途端に部屋を満たしていた酒の臭いが流れ出す。

不審に思い踏み込むと、そこは酒盛り場と化していた。

それも、女性副官ばかり7人・・・虎鉄姉妹やらピンクの赤ん坊やら・・・に

見事に部屋を占拠された形で。

「な・・・」

あまりの異様さにしばし絶句していると、

少々舌を縺れさせた声に呼ばれた。

というか、呼ばれてしまったというか・・・。

「あー、たいちょー。今皆で最悪の上司決定大会してるんですよー。

 たいちょーも混ざりません?」

「・・・・・・は?」

もしかして、昨日の残業はこうして部屋を貸し切り

呑んだくれ、挙げ句に不満を暴露するためだったのだろうか。

ここまで馬鹿馬鹿しいと、呆れより虚しさが先に立つ。

そもそも愚痴られる側の自分が参加してどうするのかとも思ったが、

参加者の中に一人の少女を見留め、腹を決めた。

昔からよく彼女を知る日番谷には、

既にほろ酔い状態で自分に手を振っている雛森が無事に家に帰れるとは到底思えなかったのだった。






「では、私の話の続きをいいですか?」

日番谷が女性陣の側に片膝を立てて座り込むと、伊勢七緒が早速切り出した。

話はこうだ。

ある日八番隊の執務室に酒瓶が山のように届いた。

隊長の京楽に訊けば、自分が頼んだのだという。

「まあ、それは分かり切ったことでしたが・・・」

如何にも呆れた様子で七緒は大きく嘆息した。

禁酒だの何だの言う気力はとっくに消え失せたという感じだ。

あれを見れば諦めもするだろうとは思うが、

ここまで確信されていると却って凄い。

「自費で頼むなら構いません。でもここからが問題です」

思い返して怒りの色を露わにする七緒。

眼鏡の奥の眼光は、今すぐにでも京楽を呪い殺せそうなほど鋭かった。

「よりにもよってあの男、隊費から払いやがったのよ!?」

キレてます、七緒さんブチギレです。

一度声を荒げてタガを外すともう止まらない。

「『悪いねぇ、でも隊の皆で飲むからさ』じゃないってのよ!!

 誰が会計やりくりしてると思ってんのかしら、あの酔っぱらいっ!

 あんまり腹が立つから半分かっぱらってきてやったわ!」

日番谷は足下に林立する酒瓶を無言で眺めた。

確かに、独断で隊費を使い込んだのだから、文句は言えないだろう。

怒り狂う七緒と神妙な顔で頷く乱菊を見比べ、

女の怖さを心に刻み込む日番谷だった。

「はーい、次私ー!」

小学生顔負けの威勢で名乗りを上げたのは誰あろう日番谷の副官、松本乱菊。

日番谷としてはどちらかと言えば迷惑を掛けられまくっている気がするのだが、

何か文句があるのだろうか?

手にしたお猪口の酒を一気に飲み干してから、乱菊が口を開いた。

「実はねー、うちのたいちょーさんってばヒドいのよ!」

「え、日番谷くんが?」

乱菊の隣に座る雛森が小動物めいた仕草で小首を傾げる。

酒が入って焦点の合わない目に見つめられて、日番谷の動きが止まった。

ぽやんとした表情が常の天然な性格を更に強調して、実に愛らしい。

無理矢理視線を雛森から引き剥がすと、乱菊に先を促した。

「そう。だって、折角色仕掛けしても全然反応してくれないのよ!?」

拳を握りしめ力説する乱菊の様子からすると、本気で言っているようだった。

当然のごとくこめかみに青筋を浮かべた日番谷が反論する。

「松本・・・お前、逆セクハラで訴えられないだけ良いと思え!!」

「何言ってんですか!女として全く意識してくれないなんて、侮辱罪ですよ!!」

何だろう、この理不尽な理論は。

日番谷は一瞬青筋がブッツリと切れるのではないかと思った。

額に手を当てて、大きく息を吐き出す。

「・・・そんなことばっか言ってっと、減給するぞ?」

その最強の脅しに、乱菊は適当に手を振りながら答えた。

「あー、職権乱用いけないんだー。

 ていうか業務外サービスで特別手当貰いたいくらいですよー」

「・・・・・・・・・」

それも職権乱用に当たるんじゃないのか。

喉まで出掛かったツッコミを呑み込んで、対松本乱菊最善戦闘法をとる。

「で、他に不満がある奴は?」

「あ、逃げた。たいちょー何でも流しちゃうのは良くないですよ?」

何と言われようとこれが一番早いのは明らかだ。

それにこうまであからさまに無視するのは

乱菊がくだらない話をしているときだけだ。

根本的に日番谷は真面目な方だと自負している。

「ハイじゃ涅!」

乱菊から新たな横やりを入れられる前に勝手に指名する。

呼ばれたネムは軽く瞠目してから、顎に指をかけて思案する。

「・・・・・・。愚痴、というのは例えば

 『マユリ様の実験動物が一日に3桁はゴミになるので、いつも処理が大変だ』

 とかそういう類のものでしょうか?」

「「「・・・・・・・・・・・・・・・」」」

それ、実話じゃないよね?

一同祈るようなツッコミ希望。

周りの参加者にいっせいに視線を向けられたネムは、

何を勘違いしたのかもう一度考え込んでいる。

誰か止めた方が良いような気がする。

でもなんとなく誰も止められない。

そして物静かな女性の口から出たのはとんでもない言葉の数々だった。

「前言よりこちらの方が適切でしょうか?

 『あの×××ジジイ!今度××××して×××して××せてやる!!!』」

放送禁止用語!!!電子音盛り沢山のコメントありがとうネムちゃん!!

落ち着いた声で凄まじいことを言うネムのギャップに皆無意識のうちに一歩退く。

七緒だけが特注ハリセン片手に歩み寄り、

軽快な音を立ててネムの後頭部をブッ叩いた。

「っとにもー!前から止めなさいっつってるでしょうが!!」

「・・・・・・」

いつもこうなのか。

日番谷はまた一つ恐ろしいことを知ってしまった。

殴られた頭をさするネムの横に座った七緒が、とっとと流そうと司会を務める。

「さぁ、上司に文句のある人は挙手して!」

「あの・・・」

大柄な割に縮こまっているせいで目立たなかった虎鉄勇音が、

隅の方でおずおずと手を挙げた。

「姉さん・・・卯花隊長に不満なんてあったの?」

清音の言葉は、皆の疑問でもあった。

普段見る限りでは、あの穏やかな癒しの母を心から信頼しているようだったが。

他のメンバーの注目を集め、萎縮するように首をすくめた勇音は

少し自信がなさそうに言った。

「別に、文句というわけじゃなくて・・・ちょっと気になることがあるの。

 卯花隊長って、時々笑ってるのに怖い気がするんだけど・・・

 気のせいかな?」

主に、十一番隊の患者さんに接するとき。

そう補足した勇音に日番谷は軽く眩暈を覚えた。

(なんでこんなに鈍いんだ・・・)

多分今鏡を見たら、間違いなく顔が引きつっているだろう。

それでも一応フォローを入れようとしたところで、乱菊があっさり否定した。

「気のせーよぉ」

「大丈夫!剣ちゃんなんていつも怖い顔してるもん」

やちるの的を外れた言葉も後に続く。

それを聞いて、勇音は顔を上げると二人の手をとって千切れんばかりに振った。

あれで納得できるのだからある意味凄い。

「・・・ところで、他の奴らは文句とかないのか?」

考えてみれば、残りの三人には上司がらみの悩みなどなさそうに思える。

かくして、そのとおりであった。

「当然!浮竹隊長に文句があるわけないでしょ!」

「んー・・・剣ちゃんに不満なんてないよ」

「藍染隊長いい人だし・・・」

三者三様に、即答された。

「じゃあなんのために参加したんだよ・・・」

一応名目は最悪の上司決定大会ではなかったのか。

「あ、それホントは宴会の途中で思いついただけなんですけどね」

乱菊の言葉にどっと疲れが出た日番谷は、深く溜息をついた。






その後大会はお流れになり宴会を続行。

数時間後には一人を除いた参加者たちは千鳥足で帰路につくこととなった。

因みに、悪趣味なことに酒瓶は水を満たして元の場所に返されていた。

その作業にまで参加させられた日番谷は、未だに執務室にいた。

酔って眠ってしまった少女を見守りながら。

解いた黒髪が床に広がっている。

頬にかかった一房を優しく払い、まだあどけない寝顔を見つめる。

「・・・・・・」

ふいに、魔がさしたように自身の顔を少女のそれに近づける。

吐息がかかるほどの距離まで近づいたとき、動きが止まった。

名残惜しそうに、ゆっくりと離れていく。

「・・・俺も酔ってんのかもな」

薄桃色の唇をそっと撫で、目を細める。

不意打ちなんて、相手の同意が得られないと言っているようなものだ。

だから。

起きているときに、正々堂々と口づけられるようになるまで、我慢する。

まだ道のりは遠いようだが、いつか。

少し口惜しくても、しかし確かに己に誓ったのだ。

「・・・・・・雛森・・・」

愛しい少女の名を呟く。

今はまだ、それだけで。










あとがき

時間軸は藍染が消えるより前のこと。

結局ギャグになってしまって日雛な部分は限りなく少ない・・・。

けど書いてて楽しいですね、こういうのは。








玉兎