口直し







その日の昼休み、3−Aの教室は熱気に包まれていた。

男子は時折女子の様子を盗み見ながら雑談を交わし、女子はその視線に気づきつつもあえてそれを問わず、

4限の調理実習の片づけをしている。

そう、この熱気の原因はその調理実習である。

本来のメニューを仕上げた後に、担当教師がある物を作ろうと言い出したのがきっかけだった。

今日は2月14日なのだ。

作る物と言えば、一つしかない。

チョコレート。その男の証が義理でもいいから欲しい、という切実な想いが教室を熱気で満たしていた。 

そして、片づけを終えた女子達が、一人、また一人と、男子の元へ向かい始める。

一つでもチョコを手に入れた男子は様々な動きで喜びを表し、

女子が己の近くに全く来ない現実を知った男子は皆一様に床にめり込む。

その教室の片隅で、天后と勾陣は共に熱気の波から逃れていた。



「天后、今年も渡さないつもりか?」

勾陣が問うと、天后はわずかに顔をうつむけて答える。

「・・・受け取ってくれない気がするから・・・・・」

事実天后は、玉砕した生徒を何人か目の当たりにしている。

勾陣は、そんな親友の姿を見、小さく嘆息する。

「しかし天后、もう高校二年だろう?来年には」

「解ってる・・・つもりなんだけど・・・」

勾陣の言葉を遮り、天后は手の上の小箱を見る。

さっき作ったチョコレートだ。

渡そうと思えばいつでも渡せる距離に彼はいる・・・けれど。

「その後のことを考えると・・・やっぱり」

断られるのが、怖い。




天后が一度言葉を切ると、教室のドアの開く音がした。

生徒達が揃って振り向く。

手に小箱を持ったその人物は、教室を真っ直ぐに横切って、男子の方へ歩み寄ってくる。

そして、青龍の前でピタリと止まる。

「相変わらず無愛想だな。そんなことでは義理チョコ一つもらえないぞ?」

いきなり言い放った若い女性は、不機嫌そうな青龍の眼差しを浴びても、全く動じない。

「何の用ですか、教頭?」

端正な顔に余裕の笑みを漂わせるその女性は、名を高於神という。

まぎれもなく、この学校の教頭だった。

出ていけ、と言わんばかりの視線を軽く受け流し、高於神は手にした小箱を開ける。

横や後ろからのぞき込んだ男子生徒達が、感嘆の声を漏らす。

そこにあったのは、完璧なまでの出来を誇る、チョコレートの粒だった。

目を輝かせてチョコレートを見つめる男子達を見て、高於神は不敵に笑う。

これは、何か良くないことを企てているときの表情だ。

「欲しい生徒は食べていいぞ」

その言葉を聞き、それまで地面にめり込んでいた生徒達が箱に飛びつく。

そして、嬉しそうな顔でチョコレートを頬張り、皆その数秒後に硬直する。

バタバタバタバタバタ

教室から生徒達が次々と駆けだしていく。

「・・・・・」

一瞬の間をおき、生徒達の絶叫が廊下に響き渡る。

「ぎゃーーーーー!!」

「うわあああぁぁぁ〜〜〜」

「何だこりゃあー!!!」

その悲鳴に残った生徒達の顔が青ざめる。

そんな生徒達にはおかまいなしに、高於神は青龍の前に箱を突き出す。

「さあ、青龍、お前も食べろ」

勿論今の有様を見て、素直に従う青龍ではない。

「俺に死ねと?」

「そんなことを言っていいのか?」

優越感を漂わせながら、ポケットから数枚の写真をちらつかせる高於神を、

青龍は射殺しそうな眼光で睨みつける。

しかし、何らかの弱味を握られているらしく、渋々承諾する。

「食べればいいんだろう、この殺人菓子を」

低く唸り、心底嫌そうな顔をしながら、青龍はそのチョコレートを手に取る。

「最後まで味わって食べるように」

言いつけを守らなければ、先刻の写真を公開するつもりのようだ。

まるで不審物を見るような目で眺め、それを口に入れる。

その瞬間、眉根を寄せ、無言で高於神を責める。

その視線を気にした風もなく、高於神は満足げに頷き、緩やかに波打つ髪を翻し、帰っていった。

要するに、生徒いじり、もとい嫌がらせのために来たようだ。

一連の動きを見守っていた女子達が、騒動の終幕を見届けて席に戻る。

悪戯の犠牲者達は、未だに洗面所で凄まじい味に顔をしかめているのだろう、誰一人戻ってこない。




そのことにより、殺人チョコの威力を重く見た天后は、青龍が本気で心配になって思わず駆け寄った。

「あの、これ、口直しに・・・なるかどうかわからないけど・・・どうぞ」

咄嗟に持っていたチョコレートを差し出した天后だが、すぐに自分のしたことに気づき、顔を赤らめる。

青龍は数瞬の沈黙の後、天后のチョコレートを一粒つまみ、口にする。

「・・・これは普通の味だな」

いささか失礼なことを呟く青龍だが、天后が意に介した様子はない。

それは、天后の性格にもよるが、これが素直でない彼なりの賛辞であることを理解しているからでもある。

しかし、あのチョコレートは、一体どんな味だったのだろう。

青龍の動作を見つめていた天后は、ふとあることに気づき慌てる。

「あ、もしかして、これってさっきの条件違反になったりは・・・?

 でも、渡したのは食べ終わってからだし、後のことについては何も言ってないし、多分ばれてない・・・と思う。

 それにいざとなったら、私が責任を負うから!」

自己完結した彼女の言葉は力強く、青龍の胸に響いた。

青龍は、ある疑問を抱き、天后を見下ろす。

何故、この少女は、単なるクラスメイトである自分のために、ここまで一生懸命になれるのだろう。

この少女の持つお人好しな面が、彼女にこのような行動をとらせるのだろうか?

青龍の疑問はひとまずこの答えで収まったが、他にも言いようのない気持ちが胸の奥で渦巻いている。

この時の彼は、天后が彼を単なるクラスメイト以外の存在としてみていることなど、露ほども考えなかった。




彼の頭はその答えを弾き出すには、少しそちらの方面に疎かったのだ。

「あんな言葉を真に受けるな。単なるハッタリに決まっているだろう」

胸中の思考など微塵も感じさせず、彼は素っ気なく答えた。

「そうなの?良かった」

本気で安堵の息をついているらしい天后に、

青龍はまたも形にならない不思議な気持ちが胸の裡をよぎるのを感じた。

その得体の知れないものを振り払うように会話を打ち切り、席に戻る。

一度だけ勾陣に話しかけている天后を省みると、己の心に宿った想いにすら気づかず、無意識に目を細める。

ましてや、その想いを以前から感じていたことなど、思い出すこともなく、簡単に目線を逸らした。




彼は、その想いが天后に関することでのみ得られることや、

それが日増しに大きく心の中を占めていくことなどは、大した意味を持たないのだと思っていた。



その時は、まだ。




余談だが、高於神のチョコレートには、干瓢が入っていたとかいないとか。





あとがき

何故干瓢かって?それは私のある思い出にまつわっているのです。

ある寒い冬の日、私は一人の干瓢売りのおばあさんに出会いました。

彼女はいつの・・・・・と言うわけで、その干瓢がとても綺麗な茶色だったからです。

因みに、高於神の脅し道具は青龍が小さい頃の写真。平凡だなー。入手の経緯は秘密ってことで。

ところで、これはバレンタインのチョコレートを渡したことになるのだろうか?

それにしてもこの二人は書きにくい。

一番好きなのに、他者の干渉がないと、お互い関わってもくれない。楽しいからいいけど。

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